新しい人生プラン

人生はよくマラソンに例えられますが、マラソンは効率が悪く、とても無駄なエネルギーの使い方をします。
 マラソン的発想は、今の時代、変化に対応できない固い思考力を持たせてしまいます。これからの時代、物事の変化が激しいから、5年の経験ですら長いほうですし、10年の経験なんか意味を持たなくなって来ます。それも変化が大きければ大きいほど、過去の経験はあまり意味がなくなります。数年かけて覚えた技術や知識が、お払い箱。経験者も未経験者も、同じスタート台に立って競うことになってしまいます。これには短距離走をいくつもやる発想を持っていなければ対応できません。

外国から学ぶ日本文化

  日本人として生まれ育っていると、ごく自然に、当たり前のように日本文化に接していますが、それと同時にその価値に気づかなかったりすることはよくあります。一種の固定観念が出来てしまっているからでしょう。
 マイケル・ジョーダンといえば、世界的に有名なバスケットボールプレーヤーです。ところが、その偉大な彼も、フィル・ジャクソンがシカゴ・ブルズのヘッド・コーチに就任するまで、一度もNBA優勝経験を持っていませんでした。ジョーダンは、ジャクソンのヘッド・コーチの下で3年連続NBA優勝を果たし、ブルズとジョーダンの全盛期が来ました。ジョーダンは翌年一度目の引退をしますが、カムバックし、再び3年連続NBA優勝を繰り返しました。
 私はそのとき、ジョーダンの力もさることながら、ジャクソンの力が大きいことを感じ、彼から何か学べることはないかと彼の著書、「Sacred Hoops」を読んだのです。驚いたことに、彼のバスケ、あるいは人生哲学の中には禅がありました。
 フィル・ジャクソンは、ブルズで合計6回のNBA優勝をした後、一時引退しましたが、ロサンゼルス・レイカーズのヘッド・コーチになり、そこでも3年連続NBA優勝をしました。わずか12年のヘッド・コーチ歴で9回の優勝ですから、実に75%の優勝率です。その彼が、日本の禅を用いて世界のバスケ最高峰NBAを制覇しているのです。そこで今度は、ジャクソンが著書の中で取り上げている禅の本も手に入れて読んでみました。
 こうした出来事には、二つの意味があります。一つは、内から見ている人間と外から見ている人間の違いです。つまり視点の違い。日本人の我々が気づかないものを、外国人が的確に捉えてうまく活用しています。
 もう一つは、発展とでもいいましょうか。単にジョーダンがすごいで終わってしまっていたら、ジャクソンの偉大さは発見しなかったわけです。小は見たが、大は見ていなかったことでしょう。また、そのルーツである禅への追究にも及ばなかったわけです。
 英語で「One thing leads to another(一つのことが別のことへ導く)」という言い方がありますが、なかなか面白いところにリンクされていたりするものです。

 追究心、探求心、あるいは好奇心があると、人生の幅が広がっていきます  

新しいモノ好きより、新しいこと好きになれ

 私は、いろいろと新しいことに挑んできました。仕事もそうだし、趣味でもそうです。
 しかし、不思議と新しいモノ好きではありません。VCRを初めて購入したのは1993年だし、DVDプレーヤーも2003年まで持っていませんでした。パソコンにいたっては自宅に入れたのは2000年です(使い始めたのは1993年頃ですが)。ビデオカメラは今でも持っていませんし、流行のファミリーシアターなる5.1chの音響システムや大型液晶テレビも持っていません。
 どうやら私は、モノには興味がないようです。新しいことをする、つまり、環境が変わることが好きなようです。
 新しい家電をいろいろ買っても、自宅に持ち込むだけです。安定した自分の環境の中に、モノを取り込むだけ。
 一方、スカイダイビングをする、新しい仕事に変わる、移住するというのは、すべて自分が新しいところに行きます。安定した自分の環境の中にモノを取り込むのではなく、不安定な環境の中に自分を放り込むわけです。どうも私はこれが好きなようです。
 生活で言えば、大型テレビを買う、RV車を買う、新しくてもすべてモノ。仕事でも、システムを導入する、新商品を扱い始める。新しくてもすべてモノです。
 自分の環境に取り入れるわけです。モノが自分に適応するようにしています。
 つまり、自分に適応させられる新しいモノならいいが、適応させられない新しいことは苦手。
 それに対して、新しいことをする人はどうでしょう。外国語を学ぶ、新しい技術を習得する、やったことのないスポーツをする。どれも自分がその環境に入ります。ことは自分に適合してくれません。自分を新しい環境、ことに適応させているわけです。

防御は最大の攻撃なり

 よく攻撃は最大の防御と言いますが、スポーツによっては攻撃でないと得点できません。例えば、野球は、攻守がはっきり分かれてしまいますから、守りで得点することは出来ません。ですから、この言葉は当てはまります。
 しかし、フットボール、バスケットボール、アイスホッケーなど、攻守が入り乱れるスポーツでは、攻撃だけでなく守備も得点できます。特にフットボールは、攻撃と守備のメンバーが完全に分かれた分業制でありながらも、守備が大きな得点力を持ちます。
 フットボールの最高峰は、NFLのスーパーボウル。このスーパーボウルに勝つ条件として必ず上げられるのが、ディフェンス。守りです。
 その典型となったのが、2003年のスーパーボウル。リーグ1位のディフェンスを誇るタンパベイ・バッカニアーズと、リーグ1位のオフェンスでMVPのQBを持つオークランド・レイダーズ。
 スーパーボウルは、ディフェンスが圧勝して一方的なゲームになり、面白くないと言われるのですが、リーグ1位のオフェンスとMVPのQBが登場ということで、ゲームを盛り上げるパブリシティもあり、レイダーズ有利という予想もありました。
 しかし、実際には、バッカニアーズのディフェンスは、レイダーズのオフェンスを抑えた守りだけでなく、得点も上げ、事実上、バッカニアーズはディフェンスだけでゲームに勝ってしまいました。バーカニアーズのディフェンスが上げた得点は、レイダーズのオフェンスが上げた得点より多かったくらいです。
 ここでキーとなるのは、ディフェンスがアグレッシブ(積極的、能動的、攻撃的)であることにあります。相手の攻撃を抑えるというレベルに留まらずに、ファンブルさせたり、インターセプトして、相手のボールを奪い、得点を上げることを意識しています。相手が先に行動を起こすが、受身で対応はしません。
 これとは反対に、オフェンスはハイパワーでぼんぼん得点を上げるが、勝てないチームもあります。4年連続でスーパーボウル出場という記録をもつバッファロー・ビルズは、この典型。ハリーアップ・オフェンスという戦術で、相手チームのディフェンスに準備する時間を与えず、驚異的なスピードで得点。その後をディフェンスに守らせる逃げ切り型の戦法でした。
 しかし、ビルズは、4年連続スーポーボウル敗退という、NFLでも唯一の不名誉な記録も作りました。敗因は一言で言うと、ボール・コントロールできなかったことです。
 ゲームに勝つのは、得点だけではありません。コントロールです。
 仕事やビジネス、ひいては人生も同じです。

若いうちから隠居思考をもとう

 私が隠居と言う言葉にあこがれたのは、松尾芭蕉が37才で隠居していたという話を聞いた時でした。まだ、私が20才かそこらのときです。隠居と言うと、定年退職者のイメージを描く人が殆どだと思いますが、私は隠居イコール自由というイメージを描きました。生活のための仕事に縛られない自由な人生。それが私のイメージした隠居です。
 たまたま、江戸時代に生きた彼がアーティストであったためにそういうイメージをもったのかもしれません。
 私はその時、37才で隠居と言うことをうらやましく思いました。日本での定年は、今65才まで引き上げられて来ていますから、28年も早く、生活のために仕事をしないで済む! 言ってみれば、そんな単純な感覚でした。
 当時は、松尾芭蕉の生きた江戸時代の平均寿命が何歳だったのか調べて、相対的に分析してみようという考えすら思いつきませんでした。それだけ感覚的に、「37才で隠居」、「仕事に縛られない」、「自由」というイメージが私を強く魅了したのかも知れません。
 その十数年後に、偶然、江戸時代の平均寿命が37、8才であったことを知りました。何のことはない、別に早い時期に隠居していたわけでもなかったわけです。
 しかし、それでも私の心の中から、37才隠居の憧れは消えませんでした。そこには、自由というもっと大きなキーワードもあったからでしょう。隠居は、経済的に独立した状態です。そこには、生活のために金が必要で仕事するという発想はありません。
 好きだからやる、やりたいからやる、趣味と同じ形態です。これは、実際に、仕事をする上で一番重要なことなのです。

高卒フリーターが送る、就職したよりずっといい人生

 私は、高卒でフリーターになりました。と言っても、当時はフリーターなんて言葉はまだありません。
 大学に行きたかったわけでもなければ、就職したかったわけでもありません。ですから、中間を取って、バイトしながら、自分の学びたいことにしました。
 大学に行けば、学びたくない課目まで出席しなければならず、時間の無駄、金の無駄。就職すれば、やりたくない仕事もさせられ、残業させられて時間の無駄。
 だから、仕事する時間を限定できて金になり、自分の時間を学びたいことに使う、独学状態にするおいしいとこ取りにしました。
 私は、中学一年の頃にアメリカン・フットボールに魅せられ、以来、フットボールのための英語勉強をしていました。このおかげで、英語の成績は、中学、高校とずっと5。高校卒業時も誰もが外語大学や英文科に行くものと思っていたそうです。
 しかし、私は、文学なんて興味ありません。フットボール好きの英語ですから、英語そのものの勉強ではなく、フットボールを楽しむための手段でしかありませんでした。そのうち、アウトドアにも興味を抱いて、アメリカでスカイダイビングやロッキー・マウンテンの登山、ユタの砂漠をトレッキング、など様々なことをしてアウトドアの能力も身につけ、日本で翻訳書を出版したりするようになりました。趣味で身についた英語が、仕事にも使える能力に発展したわけです。
 そして、ジャーナリストとして執筆業に転向。雑誌に記事を書いたり、単行本を出版するようになりました。その間、テレビが取材に来たり、ラジオのトーク・ショーにゲストで呼ばれたりしたこともありました。
 その後、データ通信(今で言う、デジタルのコンピューター・ネットワーク)に興味を持って専門学校で学び、さらにはアメリカで専門技術を学んでネットワーク技術者に再び転向。英語が出来るので重宝して海外でも仕事をし、オーストラリアに永住です。
 40才になった頃には、マイホームのオーナー。新築二階建てで、5LDKの他に、ファミリー、ランパス、ミールという部屋があり、トイレは3つ、バス1つ、シャワー2つ。リモートコントロールで開閉するガレージには車が2台。
 床面積が200平方メートル程度、敷地面積は600平方メートル程度で庭も広々。家の前には池と林が広がり、眺めも良好。運が良ければ、カンガルーが庭先に遊びに来ているのにも遭遇するなど、悠悠自適。
 今では、2件目をどこに持つかいい場所を探しています。

物事すべて、目標

 物事すべて、目標がなければスタートしません。その目標も、自分の目標でなければ達成しようという気にはならないものです。自分の利益にならないことは誰もしません。特に、山あり、谷ありで、日ごろからの努力の賜物として、目標が達成されるわけですから。
 また、「しなければならない」とか、「必要だから」という目標は達成されないものです。
 「ねばならない」、「必要」といった、英語で言うところのneedに相当する理由で、目標を持つのはよくありません。
 なぜかというと、needの場合、最低線をクリアすればいいという潜在意識があるので、最低限の努力しかしないからです。言ってみれば、外部からの何かしらの理由が働いて、その理由のためにやっているから動機が不純なわけです。
 さらには、その理由がなくなれば、努力する必要もなくなります。最初から不安定な目標だということを心のどこかで納得しているわけです。
 これと違い「やりたい」、「欲しい」は、wantの欲望です。理由はありません。子供になぜ欲しいのかと聞いても、「だって欲しいんだもん」と答えるあの感覚です。
 自分の内部から湧き出ているので、これほど強いモチベーションはありません。どんなに道が険しくても手に入れようとします。理由がないから、何が起ころうと最大限の努力をします。そして持続します。
 また、「できたらいいな」もだめです。これはただのwish、hope、prayという願望ですから、自分以外のものに依存しています。










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