日本の書籍は値が高い。オーストラリアの書籍も値が高い。なのに、アメリカからの輸入書は安いのはなぜ。

 日本で出版された書籍は定価で売られていて、値引きがされていないのに、アメリカからの輸入洋書はかなりのディスカウントがされています。太平洋を横断して輸入されているのに何でこんなに安く売れるのでしょうか。
 これは、日本とアメリカの出版物の販売形態によります。日本では再販制度があります。これは、小売店が、一定期間、本を預かって店に置き、売れなければ返品して一切金は払わない制度。言ってみればただの棚貸し。金銭的リスクゼロなわけです。英語ではこの方式をSale or Return などと呼んでいます。
 こうした方式ですから、出版社はディスカウントできません。数週間から数ヶ月後に返品される状況を見て、売れ行きが把握できるわけです。消費者にとっての金銭的なメリットは全くなしのシステムです。出版社に直接注文しても、よくて送料を無料にしてくれる程度。
 一方アメリカでは、問屋や小売店が買い切りが出来るため、返品はきかないが、ディスカウントで安く仕入れることが出来ます。定価の45%で仕入れることも可能なら、さらに安く仕入れることも可能です。売れ筋の新刊が50%引きで売られているのも納得できてきます。書店はそれでも利益を出せるわけです。
 こんなことだから、アメリカの書店に行けば、新刊の値引きはごく普通だし、バーゲンで75%引き、90%引きというのにもよく遭遇します。円高も手伝って、日本の本は高いと言う印象を強く受けるわけです。
 オーストラリアに来ると、ここでも面白い発見をしました。ここでも本が高いのです。日本の再販制度同様、多くの場合、Sale or Returnなのです。ですから、日本と同じように、アメリカからの輸入書が安く売られているのに、オーストラリアで出版された本は定価販売。書店で買うと、とても高い印象を受けます。
 ところが、日本と異なり、ディスカウントショップで書籍を扱っている店もあり、こうしたショップでは、新刊も一律、定価の30%引きなどで買えるのです。出版社によってはSale or Returnでない販売形態もあるからですが、本を探す時は、まずディスカウントショップを探し、そこでなければ次に書店に行くほうが賢い買い物ができるわけです。こうしたことですから、本は書店では買わないようにする習慣が消費者の間に広まってきていて、必然的に書店の数が少ないのです。
 また、ディスカウントできるということは、売れない本、つまり過剰在庫を処分するのも簡単なわけです。過剰在庫は、さらに値引きされて定価の75%引き、80%引き、さらにはそれ以上で処分され、書店がバーゲンセールとして客寄せに売っています。ですから、定価は10ドルの本が1ドルや2ドルで売られているのも見かけることがあるわけです。

雑誌のない本屋

 日本では書店で本も雑誌も購入できます。アメリカでも本屋で本も雑誌も売っています。ところが、オーストラリアでは、書店では雑誌は全く売っていません。雑誌はニューズ・エージェントという売店とコンビニ、スーパーマーケットで買えますが、本屋では置いていないのです。
 初めてオーストリアに来たときには、不思議には思ったものの、本と雑誌は別の形態だから、と深く追求しませんでした。本は定期刊行物ではないけれど、雑誌は定期刊行物。形態が違うわけです。また、雑誌が広告収入で成り立つ媒体なのに対して、本はそのもので金を回収します。そこで、本と雑誌は別のもの。本屋は本のみしか扱わないのだろうと思っていました。
 しかし、本同様に、大手のディスカウント・チェーン店でも雑誌を扱っているところがあり、本と雑誌の流通経路の違いを意識し始めました。
 アメリカやオーストラリアでも、雑誌の店頭売りでディスカウントのあるところはまず見かけません。これも、Sale or Return方式だからでしょう。このSale or Return方式、返品するのにも当然、運送費として費用が発生します。定期刊行物であれば、毎週、毎月と言うように発生しますから、バカにならない金額です。これを少なくしようと、表紙だけ返品すればよいという雑誌社もあるのです。こうした出版物を読んでいると、時折、「カバーなしで購入した場合は、ご一報ください」なんて書いてあります。

オンライン・レビューが頼りにならないわけ

 インターネットを使って本を買えるようになったのはとても便利です。それまでは、書店に出向いて探さなければならなかったし、洋書などはアメリカに行った際に書店を片っ端から当たったり、カタログで探して輸入しなければなりませんでした。
 今は、ウエブサイト上でクリックするだけ。とても楽です。しかし、現物を見られないでの、出版社の宣伝文句を見て判断するしかありません。サイトによっては、ユーザーの書評(レビュー)を参考にすることも出来ますが、それでも、注文してみると期待とはかけ離れた内容だったり、本屋で立ち読みしていたらまず買わなかった文体のものであったりすることはがよくありました。なぜなら、ユーザーのレビュー、特に星の数はまず役に立たないからです。
 アメリカのBarns&NoblesやAmazon、他のインターネット・ブックストアでよく買い物をしていた私は、時折こうした不満を業者にEメールしていましたが、その後、Amazonがサンプルを掲載するようになりました。全ての本がサンプルを掲載してはいませんが、サンプル章や章の一部が読めるだけでも、概要が把握できるので、本を選ぶ際の大きな助けになります。

 従来、書評はそれなりの編集関係者が担当していましたが、オンライン・ブックストアでは、素人の消費者がレビューを書いています。つまり、主観的な意見であり、客観的でありません。さらに困るのは、著者が知人を使って、自分に有利なレビューを投稿させていることです。
 このため、消費者である我々には、購入してみるまで識別のしようがありません。日本のアマゾンも含めて他のオンライン・ブックストアもサンプル制度を採り入れてもらいたいものです。

著者略歴は自己申告の自己宣伝

  本や雑誌を読んでいると、著者や筆者の略歴が載っていて、かっこいいことが書かれていますが、誰が書くのかと疑問に思ったことはありませんか。
 私は、自分が雑誌に記事を書いたり、本を書いたりするようになるまで、一体、誰が書くのかと思っていました。本や雑誌の製作は編集者がするのを知るようになると、編集者が書くのだろうと推測していました。
 しかし、実際は、著者、筆者本人が自分で好き勝手に書いているのです。
 「なんだ。そんなことだから、いかにも凄そうなことを書いているわけか」と思ったのが、初めて知ったときの正直な気持ちでした。
 早い話、自己宣伝。業界に詳しくなると、中には、自分の希望を書いているだけで現実を書いていないものも多くあるのに気付くようになりました。

監修は名義を貸すだけ

 よく監修者XXという本がありますが、これはいったい、どういうことでしょう。早い話、ゴーストライターなどが書いて、有名人の名前を借りることで売ろうという本です。
 たいていは、印税の数%が監修料して監修者に行きますが、監修者は前書きを一筆する程度で、ネーム・バリューで稼ぐわけです。
 完全なゴーストライターものになると、監修者として名前が載るのでなく、本人が書いたことになります。この場合、ゴーストライターの名前は全く本に登場しないものと、あとがきでわずかに登場するものがあります。
 私も一度だけゴーストライターをしたことがありますが、自分の名前ですでに出版実績があるのでビジネスの一形態と割り切っていました。
 しかし、自分の名前での出版実績を持たないゴーストライターは、結構つらいようです。金が稼げはするものの、自分の作品であるとは認められないからです。自分が書いたといっても、他人の名前しか本にでていないのですから、自分の作品と理解してくれるのはよくて出版者くらいのもの。一般世間の人は、誰も著者として認知してくれません。

発行部数は本物?

 書籍に比べ、雑誌は広告で成り立っています。その広告収入に大きくかかわってくるのが発行部数です。そのため、公称部数と印刷部数、実売部数なんて、さまざまな部数が存在しています。
 普通、公称の発行部数は、実際の発行部数である印刷部数を20%は水増ししているといわれる程度です。しかし、ひどいのは、20%どころか200%も水増し。広告を取らないと雑誌が成り立たないから、こんな水増しをするわけですが、かわいそうなのは編集者。編集長は平気で嘘をつく人が多いけれど、実態を知っている編集者は言葉に詰まってしまうものです。
 ある業界雑誌の編集者と話をしていた時のことです。「XX部の雑誌は発行部数が12,000部だそうですね」と、XX部の雑誌編集長から聞いた数字を述べました。
 「いやあ、うちの会社で5,000部行ってるのは一誌もありませんよ。XX部の雑誌は3,000部も出てないでしょう」
 という返事です。同じ出版社でも他の編集部の雑誌のためか、かなり素直に話してくれましたが、その後知ったことでは、印刷部数が3,000部。実際に売れている実売部数はなんと250部。これが公称、12,000部の正体だったのです。
 出版物目録に発行部数100万部と書かれた、ある大衆月刊誌に記事を売り込みに行ったときのこと。編集者に「100万部雑誌だそうで」と言ったら、うつむいてしまいました。
 別のある趣味の雑誌に記事を売りに行ったときのこと、編集長は10万部売れていると豪語していました。しかし、業界の別の編集者に聞くと、3万部も出ていないという返事。
 こんなことですから、ABC(雑誌発行部数監査所)という団体も出来て、雑誌の発行部数の監査をしているくらい。ただし、加盟は強制ではありませんから、加入していない雑誌の実態は編集者しか知りません(実際には印刷業者も詳しく知っていますけど)。

 それでは、単行本の書籍の発行部数はどうなのでしょう。これも実態は把握できません。公称部数だけです。当然、水増しは出来ますが、雑誌と違って、著者への印税が生じるため、公称部数を水増しすると、印税を多く支払わないとならなくなります。
 雑誌記事の場合、一本いくらで買いきり、原稿料を払って終わり。出費は、発行部数とかかわりなく一定です。これに対して本の場合は、印税のため、売れた部数に応じて支払う金額が増えます。そのため、部数の架空水増しをしずらいわけです。
 しかし、まったくやっていないわけではありません。マイナーな出版社やもともと支払いの悪い出版社では、実際より多く売れたことにして、発行部数水増しでパブリシティを得ようとします。例えば、10万部売れたなどと称して宣伝するわけですが、実際にはそこまで行っていません。しかし、そんなに売れていると思うと、誰しも気にするようになるわけです。
 ですから、こういう水増し本の場合、著者への印税は全く支払われていなかったり(支払えるはずがありません。もともと売れていないのですから)、支払いがとても遅かったりするわけです(普通は数ヵ月後なのに、公称した部数に達していない水増しだから遅れに遅れ、数年後などというようにずっと後になって、やっと「一部が」支払われるわけです)。
 こうした出版ビジネスを理解していないと、部数が多く売れると印税が増えると短絡で喜んだりしますが、それは出版社のトリック。
 しっかりした出版社を選んで出版しないと、こういう被害に会うのです。

本とのうそ

 フセインと仲良しのブッシュ家のジュニアが、2002年にイラクを攻撃すると言い出し始めた頃から、異様にオーストラリア陸海空軍の人員募集広告が増えています。
 軍に入ると、後に市民権を獲得する際に有利になることがあるので、市民権の欲しい者がよくやること。生きてられればの話ですが。

 アメリカの友人で、元ベトナム戦争従軍者は、元海軍特殊部隊シールの人間と訓練をしたことがあります。このシールの人間は、ベトナム戦争中にメダル・オブ・アーナーという最高の名誉勲章を受賞した英雄。しかし、面白いことに武器にはうとかったのでよく覚えているとのこと。本当かと思って、彼の名を名誉勲章受賞者のリストで調べて見ると、確かに彼の名はありました。
 同時に、面白い発見もしました。名誉勲章受賞者リストの中に、フル・ネーム日本人がいたのです。
 考えてみると、第二次世界大戦の時には、アメリカに永住した日系人の志願兵達が、いわゆる二世部隊として戦地に赴いていたこともあるし、フル・ネーム日本人でも、単なる日系人かも知れませんが。

 昔、元グリーンベレー大尉などと嘘をついて本を書いていた日本人がいましたが、その後、本物の元グリーンベレーの日本人隊員がアメリカから現われて全てを暴露されてしまったことがあります。
 両者に会ったことがありますが、嘘をついていたほうは、見るからに完全な偽者。
 信じて本を買った読者の中には、「こういうのは詐欺にならないのか」と憤慨していた人もいました。
 もう10年前の話ですが、この偽者は今でも作家として本を書いているのだから、マスコミはいいかげんな業界といわれても仕方ないかも。

 PS-一方、本物の方は完全な本物で、母親がアメリカ軍人と再婚して、アメリカ国籍になり、高校卒業後にアメリカ陸軍入隊。だから、名前だけ見ると、姓は日本名ではありません。彼もその後、日本で本を出版しましたが、このときは、旧姓で出版し、日本人ぽくしていました。

ジャーナリストは、嫉妬屋?

 NBAスタープレーヤーだったチャールズ・バークリーが、ジャーナリストのことを「jealous jerks(妬み屋。これは控えめな訳。もっと直接的に言えば、妬んだバカども)」と皮肉ったことがあります。
 報道の自由などと言っては記事ネタ欲しさに付きまとい、謝礼も払わずにただで自分が儲けようというマスコミの根性が気に入らずに言ったことのようです。

 ジャーナリストとして取材する側から見ると、取材に謝礼を払うかどうかは一つのポリシーです。
 例えば、取材する場合、相手は時間を割いてくれるわけです。相手によっては、情報を提供することを商売にしている人もいます。それなのに、謝礼も払わないのは、不自然というより、プロのジャーナリストのやることではありません。自分がその取材を元に金を稼ぐのですから。
 一方、取材に謝礼を払うと、金でネタを買ったことになると主張するジャーナリストもいます。しかし、金を払わない取材では、売名目的で取材に応じる人間が増えるのが最大の欠点です。こうした人達は、自分のパブリシティが欲しいがために、当然嘘もつきます。
 また、取材する側にも問題があるのが普通です。私も国内外で取材し、取材された経験をもちますが、取材に謝礼を払わない媒体は、マナーも悪いところが多いものです。例えば、私の友人の経験ですが、写真を貸してくれというので貸したら、返却しないまま。
 後に、私も同様の経験をしました。ある日本の週刊誌が取材に来て、写真が欲しいというので貸したら、返却しないのではなく、紛失です。当時、私は名刺にフォトグラファーの肩書きもつけ、写真も売ることを商売にしていた人間。貸した写真(スライド)の使用料を払わないばかりか、なくしてしまうのですから、以後その雑誌社とは一切取引しないことにしました。

 私の経験から言えば、取材に謝礼が支払われないのは、クオリティの低い取材です。謝礼を支払わないのは、取材する側にすでに、金を払う価値がないと判断しているからのこと。謝礼を払う取材だと思えば、取材する側が慎重になり、クオリティもより高くなるものです。
 また、プロのジャーナリストは、フェアなビジネスをしますから、取材することで自分に金銭的利益が生じれば、その利益を協力者に還元もします。  

本を読む無駄

 以前、お世話になった大手新聞社の月刊誌編集長と久しぶりに話をしていると、「今の学生は本を読まないので、部数のジリ貧にどう歯止めをかけるか四苦八苦している」と漏らしていました。
 最近の子は、本を読まないといいますが、私も日本語の本は、もう20年以上一冊も買っていないくらいです(子供の教育用を除く)。
 なぜでしょう。私が思いつく理由は、読むのが面倒くさいからが第一。その他、面白くないから、無駄が多いから。こうした理由から、お金を払う価値がないというのが、私が本を買わない理由です。
 昔のように、テレビやラジオ、インターネットのウエブサイトがなかった時代なら、本は唯一の情報収集手段でした。しかし今は、本を読むことの利点が減ってきています。本の欠点を考えて見ましょう。
 本を購入しないとならない。あるいは借りてこないとならない。
 読まないとならない。つまり、他のことが出来なくなる。
 テレビやラジオなら、スイッチを入れるだけで、そこに来てくれます。本を読むのと異なり、他のことをする、つまりながらも可能です。時間が有効に使えます。
 インターネットのウエブサイトなら、読むことだけでなく、映像を見ることも音声を聞くことも出来ます。活字を追うのと違い、検索も手早いものです。本だと牽引を引き、ページを探してから単語を見つけなければなりません。

 それなりに不便なのです。ですから、本を読まないからと、一概に子供をしかる必要はありません。








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